男として、父として〜664g超低出生体重児、NICUとその後〜

父親になるとはどうゆうことなのか、体験と共に綴ります。664gで生まれた超低出生体重児のNICUでの記録とその後を父親目線でお伝えします!

偉大な先生の最期をうけて振り返る。

8月10日

無事に29歳の誕生日を迎える事ができました。

仕事で、帰宅が11日になった事は良い思い出!?

 

こんにちは。

 

今週、フトシと妻は

妻の実家でほとんどを過ごし

来週も、妻のおばあちゃん家(長野)に行くので

一人暮らしが続きます。

 

家にいるより

色々な人と会っていたほうが

フトシの成長も促される気がするし

もリフレッシュになってよいと思います。

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昨日、8月11日

高校時代のサッカー部の先生が亡くなりました。

 

その知らせを聞いてから

色々な事を考えられずにはいられなかったので

思った事を書きます。

 

76歳でこの世を去った先生は

いわゆる高校サッカー界ではその名前を知らない人がいない程

有名な指導者で、数々の名選手を世に送りだしてきました。

 

私は、そんな先生や先輩に憧れて

高校に進学し、寮生活の傍ら

サッカー漬けの毎日を送っていました。

 

1年生の頃は

100名を超える部員がいるサッカー部において

先生の指導を受けることができるのはトップチーム(Aチーム)だけなので

ほとんど接した記憶がありません。

 

2年生になりトップチームに帯同する事が多くなると

遠征の度に、先生の部屋のドアをたたき

荷物を取りに行ったり、洗濯をしにいったり、

練習ではしごかれたりと、とても濃密な日々でした。

 

3年生でも、レギュラー争いの最中、

思うようなパフォーマンスをする事が出来なかった私に対し、

厳しすぎるお言葉をもらったり、

進路を手厚く面倒見ていただいたりしました。

 

高校を卒業する時には

3年時に思うような結果を残せなかった私は

先生に対して複雑な感情を抱いていたのを覚えています。

「何で、最後の最後で俺はメンバー外だったのか?」

 

今考えれば

結果を求めて駆け抜けた3年間のあっけない終わりに

執着していただけなのですが、

当時は恨みにも似た感情であったと記憶しています。

 

あの時の悔しさを次のステップで返す。と。

 

 

 

 

ふと振り返ると

 

私の持っている向上心は

確実に高校時代に植え付けられたものです。

 

私の持っている自信は

確実に高校時代の成功体験が与えてくれたものです。

 

私の持っている苦しい時の明るさは

確実に先生の教えによるものです。

 

人生最大のピンチ

フトシが664gで産まれたあの日、

妻の前でここ一番の笑顔を作る事ができたのは

フトシという事実と向き合い、

前向きに受け止めることができたのは

高校時代の経験、先生の教えがあったからこそだと、

 

先生が亡くなった事を受けて

はじめて気がついています。

 

私を形作っているのは

私がこれまでにしてきた経験にもとづきます。

 

その経験の礎(いしずえ)と指針を示してくれたのは

先生なんだと。

 

 

高校を卒業して10年。

こんなにまで過去を振り返った事はありませんが

 

特別な日です。

 

たまにはいいのか。

 

一人の偉大な先生の最期を

振り返ることくらい。

 

先生

おかげさまで私は

とどまることの無い向上心で、人生を主体的に生きる事ができています。

フトシも元気で、毎日を一生懸命生きています。

 

ありがとうございました。

 

心よりご冥福をお祈りまします。

 

 

 

end